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Move on up! (#ノースムーブ) 増田佳織

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青い春Kitri
09:19
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角松敏生 - Toshiki Kadomatsu

プロフィール
1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンド は多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。 また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂 「You’re My Only Shinin’ Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品として業界チャート誌の第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。 1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行、同時に他アーティストのプロデュース作も上位に送り込んだ角松だったが、当時の音楽シーンへの疑問などに行き詰まった彼は、この年の1月27日、日本武道館でのライヴを最後に自らのアーティスト活動を『凍結』してしまう。 しかしこの“凍結期間”は、逆に「プロデュース活動」をさらに多忙にさせるといった結果となり依頼が殺到し、プロデューサーとしての手腕を存分に発揮した。 また、1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」/AGHARTA(アガルタ :角松敏生が結成した謎の覆面バンド )は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTA のメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」 が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。 『凍結』から約5年、角松敏生は遂に自身の活動を『解凍』することを宣言。1998年5月18日、活動を休止した同じ日本武道館のステージに再びその姿を現した。その「He is Back」コンサートのチケットは発売直後にソールド・アウトとなる。 翌年リリースしたアルバム「TIME TUNNEL」はチャート初登場第3位を記録し、変わらぬ支持の大きさを実証してみせた。 その後は、2作連続TOP10入りを果たしたシングル「君のためにできること」、「Startin’/月のように星のように」や、作品ごとに新しいコンセプトで挑むアルバム、ライヴDVDなどコンスタントにリリースを重ねている。 またリリースに平行して、大型ホールからライヴハウスまで、20周年や25周年記念ライヴのような一度きりのスペシャルイベントから全都道府県ツアーまで、様々な形態で精力的にコンサートを行い、その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で走り続けている。 また2002年と2005年には映画音楽を手がけ、また自身が役者として芝居の殿堂でもある下北沢・本多劇場のステージに主役として立つとともに音楽、映像監督を同時に務めるなど、新たなチャレンジも行っている。 2008年12月には、新しい章の幕開け< The beginning of the SEASON Ⅲ>と銘打ったコンサートを行い2009年、ニューアルバム「NO TURNS」とライヴ活動で本格的なスタートを切る。 そして・・・角松敏生の挑戦はさらに続く。

■オフィシャルサイト
http://www.toshiki-kadomatsu.jp/
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